第5回 胸の掃除(3) −人は鏡、気付くために−

東日本大震災の後、よく流れたCMに、金子みすゞさんの詩がありました。

こだまでしょうか

 「遊ぼう」っていうと
 「遊ぼう」っていう。
 「馬鹿」っていうと
 「馬鹿」っていう。
 「もう遊ばない」っていうと
 「遊ばない」っていう。
 そうして、あとで
 さみしくなって、
 「ごめんね」っていうと
 「ごめんね」っていう。
 こだまでしょうか。
 いいえ、誰でも。

『金子みすゞ全集』

人は、こだまのように、こちらの心をそのままに返してくれるのでしょう。

人は鏡のように、こちらの心のありようを映し出してくれるのです。

親神様(おやがみさま)は、

みなせかいのむねのうち
かゞみのごとくにうつるなり

『みかぐらうた』 六下り目 三ツ

と教えられるように、人の姿を通して自分の心の内を見せてくださるのです。

また、「人が相手の中に見ることができるのは、自分の中にあるものだけである」とアメリカの偉大な精神科医であったH.S.サリヴァンは言っています。

だから、良きにつけ、悪しきにつけ、特に人の在り方が気になるとき、困ったり悩んだりするときには、自分の中にも同じものがあるかもしれない、と振り返ってみましょう。
そうすると、たいてい自分の中にも同じようなものが見つかるのです。

現れてくる場面は人それぞれ違っても、同じようなものを自分も持っている。
なんだ、自分も同じじゃないか、ということに気付く。

もくじ

気付いてこそ掃除ができる

前々回の「胸の掃除(その一)」の中で、神が「ほうき」となって胸の掃除をしてくだされるのだ、と申しましたが、ほうきを持って掃除をするときは埃が見えるものです。
つまり、自分の心の「ほこり」が見えるときは掃除ができるチャンスだということです。
だから、ほこりを見せていただいたこと自体に、まず感謝したらいいのです。

実は私自身、若いころはこのことに気付かず、自分の心のほこりに苦しみました。
見せてくださることに感謝するというより、どうしたら見ないで済むか、とできるだけ目を背けていたような気がします。
それでも見えてくる自分のほこりを、どうしたらいいのか分からなくて、悩み苦しみました。
しかし今は、公平に見て、自分のほこりに気が付いていて、それを認めている(開き直っているというわけではなく、ほこりがあるという事実をありのままに認識できている)人の方が、人間的に成熟しているように思えます。
実は、自分の心のほこりに気付いたとき、本当に自覚したとき、自分の胸が掃除されるのです。

おやさまは、心のほこりを掃除するのは、障子の敷居に挟まった堅い豆粒を取るようなものだとおっしゃいました。(『正文遺韻』参照)

障子の敷居の隅に豆粒が挟まっているのを知らずに、いくら力を込めて頑張って障子を閉めようとしても、絶対にきちんとは閉まらない。
何でなんだ、この野郎と思って思いっ切り力いっぱい閉めてみても、駄目ですね。

しかし、落ち着いて全体をよく見回してみて、ああ、ここに豆粒が挟まっているじゃないか、ということに気が付けば、それを取り除ける。
そうしたら簡単に障子はちゃんと閉まるのです。

それと同じで、心にほこりがあると、どうしても物事がうまくいかなくなってくる。
頑張っても頑張っても、物事が成ってこない。
そうしたとき、心を静め、よく思案してみて、ああ、ここに自分の心得違いがある、自分のほこりの心がある、ということに気が付いたら、心は自然と治まってくる。
「澄んだる水と変わりくるぞや」というように、自然と澄み切ってくるのです。

そうして自分の心のほこりに気付くと、相手のことも許せるようになる、気にならなくなる。
そしてやがては、自分自身のありのままの姿に気付かせ、胸を掃除して、成長させてくれた相手に感謝できるようにさえなる。
そうなったとき、自分だけじゃなく、相手もまた変わり始める。
そう、人は鏡だから、自分が変わったことで、相手も変わるのです。
だから、人間関係に悩むときは、むしろ胸の掃除のチャンスなのです。

胸の掃除はおたすけの基本

私の敬愛するT先生は、若いころ、相当なヤンチャで、少年院から修養科に入ったような方ですが、交通事故で一生車いすだろうというところを奇跡的なご守護を頂き、単独布教に出られました。
そして、自分や家族の「いんねん」(今まで通ってきた人生)を考えると、まず極道者の「おたすけ」をしなければならないと思われ、そうした人たちを引き取ってきて一緒に暮らし始められました。

しかし、そういう人たちはいくら神様のお話をしても、ちょっとやそっとで聞く耳を持つような人たちではありません。
そこで先生はどうやってその人たちをたすけられたかというと、「その人たちの姿、在りようこそ、自分自身のいんねんの姿(自分の過去の生きざまであり、今も知らず知らずに使ってしまいがちな心の癖)だと悟り、相手の中に自分自身のいんねんを悟って、ひたすらおのれの胸の掃除をさせていただくことによって、まず自分自身の胸が澄み切ってくる、自分の方がたすけられてくる。
そうするとだんだん、この人のおかげで自分がたすかっている、自分たちの方がこの人たちにたすけられているじゃないか、と思えるようになってくる。
そうなった時、相手の中に神様が入り込んでお働きくだされて、何も言わずとも自然と相手が変わっていく、たすかっていくのだ」と教えてくださいました。

相手の姿の中に、おのれのいんねんを見て、わが胸を掃除させていただくことによって、自分も相手もたすかっていくのです。
何とありがたいことでしょう。
このことを忘れなければ、どこへ行っても心配はない。
親神様がちゃんと連れて通ってくださいます。

つづく

※『Happist』2012年8月号掲載

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