出会い ふれあい たすけあい

本部准員/天理教和爾分教会長 高見 宇造

第6回 「どじょう」の話


Jill WellingtonによるPixabayからの画像)

前回は、「ほこり」のお話をしました。今回はその続きです。

忘れもしません。大きな希望に胸を膨らませて入学した大学の新入生歓迎会での事です。キャンパスではたくさんのサークルが新会員を募集しようと呼び込みに躍起になっていましたが、私はあるサークルから勧誘の声を掛けられました。話を聞いていると、宗教系の団体でした。「実は、私は天理教の信者なんです」と答えると、その彼は私に入会する意志がないと思ったのでしょう。突然、「天理教だって! 天理教って人間の種がどじょうって教えているあの天理教か! 君は本当にそんなことを信じているのか」と、大勢の新入学生の目の前で罵倒されてしまいました。辺り一面の空気が凍り付いたその時の情景を、私は今でもはっきりと覚えています。

私の信仰している天理教が、また熱心に「にをいがけ」「おたすけ」に努めている両親がばかにされたようで、憤(いきどお)りに身が震えました。また、一言も言い返せなかった自分のふがいなさに何よりも腹が立ちました。皆さんは「どじょう」の話とは何か知っておられますか? そうです。その彼は「元の理」のお話を言っていたのです。

人間の種

『天理教教典』第三章「元の理」は、この世の元初りで人間世界をお造りになったお話です。

この世の元初りは、どろ海であつた。月日親神は、この混沌たる様を味気なく思召し、人間を造り、その陽気ぐらしをするのを見て、ともに楽しもうと思いつかれた。

『天理教教典』 25ページ

とあります。続いて、

いよいよここに、人間を創造されることとなつた。そこで先ず、親神は、どろ海中のどぢよを皆食べて、その心根を味い、これを人間のたねとされた。

同 27ページ

とある通りです。「人間の種がどじょうだなんてことを言うから、天理教は誤解されるんだ……」。そんな思いが学生時代ずっと頭から離れませんでした。

ところが、大学の卒業も迫ってきたある日、私は深谷忠政(ふかやただまさ)先生の『教理研究 元の理』(道友社新書)を読ませていただく機会がありました。そこにはこうありました。少し長いですが引用します。

大和の俚言(りげん)では、どぢよは泥から湧くという。混沌たるどろ海中からの生命的な発現の、最も素朴な表現であるといってよいであろう。

どぢよは泥にまみれても、清水で洗えばきれいになる。このことを思案すれば、人間は仮令(たとえ)悪にそまっていても、本性は清浄なものであり、本教の信仰によって、悪を洗いきる可能性を持っていると悟らせていただいてよいであろう。

本教の場合、キリスト教のような原罪(げんざい)は考えない。ただ存在悪としてほこりを説くが、勿論これは拭い去ることの出来るものである。又どぢよは、いせいのよいものである。人間は少々の生活苦に打ちひしがれない、たくましい生活力を持たなければならぬことを意味されたものと思う。

『教理研究 元の理』 50ページ

とあり、私は目からうろこが落ちました。と同時に、ずっとふさぎ込んでいた気持ちがパァーッと晴れた気がしました。

教祖(おやさま)は人間の本性はどこまでも、何があっても清らかなものだと教えるために、人間の種は「どじょう」だと教えられたのですね。みんな「陽気ぐらし」ができる存在だと、人間に希望と勇気を与えられたのが、「どじょう」ということだったのです。私はうれしさで胸がいっぱいになりました。

またほこりは、わが身に付く泥のような物かもしれません。ほこりの教えは「信仰の入り口にあって、私たちの悩み、苦難を解決に導いてくださる希望にあふれた教え」なのです。私は、人間の種が「どじょう」で良かったと思いました。

ある講習会でのこと

以前、教会本部で開かれた教理講習会に講師として務めた時のお話です。

「元の理」を踏まえたお話の中で「ほこりは拭えばきれいになる」ことや「人間の種はどじょうで良かった」ということを、学生時代の体験をもとにお話ししました。

後日、講習を受講された方の感想文を読ませていただく機会がありました。それは、ある初老の男性のものでしたが、そこには「先生のどじょうの話に救われて家に帰ることができます。生きていて良かったです。死ななくて良かったです。ありがとうございました」と書かれていました。この方はうつ病で苦しんでおられたようです。もちろん、私はそんな深刻な思いで受講しておられる方がいるとは思いもしませんでしたから、体中に戦慄(せんりつ)が走るとともに、「どじょう」の話で1人の人をおたすけできたことに心から感謝しました。

この方は家庭の事情から、生きる気力、希望、勇気を無くしておられたようです。自分の存在すらも否定しようと考えていたのです。そこで最後の救いを求めて講習を受講されたのでした。

私たちは生きていく中で、「こんなはずではなかった」という時には、不本意な生き方を余儀なくされることがあるかもしれません。たとえ泥にまみれても、「泥が身に付かない、いつまでも人間はきれいなままで生きていける。大丈夫、生きていける」。そんなメッセージとして、「どじょう」のお話を聞いてくださったのですね。

世の中は心を病む時代だと言われます。毎年、自ら命を絶つ方が2万人近くもいるそうです。

理由はどうであれ、私たちは陽気ぐらしという生を喜ぶ、生を楽しむ生き方をどこまでも選択しなければなりません。

「元の理」の「どじょう」は、現代社会を救うお話だと私は確信しています。

つづく

※『Happist』2013年9月号より再掲載


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