最終回 さぁ、おたすけ

お道は、ようぼく、信者の皆さんが教祖(おやさま)にお喜びいただこうと、全国各地で「おたすけ」に努めておられます。

教祖130年祭に向けて真柱様(しんばしらさま)がご発布になった「諭達(ゆたつ)第三号」には、

おたすけは周囲に心を配ることから始まる。身上・事情に苦しむ人、悩む人があれば、先ずは、その治まりを願い、進んで声を掛け、たすけの手を差し伸べよう。病む人には真実込めておさづけを取り次ぎ、悩める人の胸の内に耳を傾け、寄り添うとともに、をやの声を伝え、心の向きが変わるようにと導く。

『諭達 第三号』6ページ

と具体的に「おたすけ」とはどういうものかを記してくださいました。

皆さんも、家族や友達の中に心に掛かる人がいることでしょう。
もうすでに悩みや相談に乗っておられる人もいるかも知れません。
でも、「何と言ってあげればいいのか分からない」「余計なことはしないでと言われたらどうしよう」などと、迷いの中にいる人もいるでしょう。
まず、相手の方があなたに心を開いてくれなければ、いくら思いがあっても「おたすけ」はできません。

もくじ

おたすけと神様のお働き

それは先人の先生も全く同じことでした。
皆さんは、教祖が明治20年陰暦正月26日にお姿をかくされたことを知っていますか?

『稿本天理教教祖伝』第十章「扉ひらいて」では、その時の様子を

人々は、全く、立って居る大地が砕け、日月(じつげつ)の光が消えて、この世が真っ暗になったように感じた。真実の親、長年の間、何ものにも替え難く慕い懐しんで来た教祖に別れて、身も心も消え失せんばかりに泣き悲しんだ。

『稿本天理教教祖伝』332ページ

と伝えています。
それまでは、どんな深刻な身上や事情の方であっても、ともかく教祖の元にお連れすれば、たすけてくださったのですから、「これからどう、おたすけをすればいいの?」と途方に暮れたことだと思います。

その時に伺われた、親神様(おやがみさま)の「おさしづ」があります。
これは、明治20年4月3日に今の天理市内の櫟本(いちのもと)という所へ、清水与之助(しみずよのすけ)先生と梅谷四郎兵衛(うめたにしろべえ)先生が「おたすけ」に行くことについて願われたお言葉です。
お二人は、早くから教祖のおそばで信仰していた先生ですから、「おたすけ」の経験も豊富であったでしょう。
それでも、おさしづを伺っておられるのは、教祖がお姿をかくされた直後で、自信もなくし、不安な気持ちのさなかだったからだと思います。

この道は、常々に真実の神様や、教祖や、と言うて、常々の心神のさしづを堅くに守る事ならば、一里行けば一里、二里行けば二里、又三里行けば三里、又十里行けば十里、邊所(へんしょ)へ出て、不意に一人で難儀はさゝぬぞえ。後とも知れず先とも知れず、天より神がしっかりと踏ん張りてやる程に。

『おさしづ』明治20年4月3日

親神様は、「おたすけ」をするには日ごろから神の教えを守っていることが大切だと諭されました。
そうすれば、あなたがどこへおたすけに行っても、天から神が守ってやると言われました。
「邊所」とは誰も知らない辺ぴな所という意味でしょうが、一方では心象風景として、あなたの不安な気持ちを表しているとも考えられます。
続いて、

二人三人寄れば皆皆話し、今までは、わしはこんな心で居た、俺はこんな心使うて来た、と皆 んなめん/\の心通り、言わしてみせる。神の自由自在、よう聞き分け/\。案じる事要らん/\。こういうさしづあったと、皆々の処へ伝えてくれ。一人や二人のさしづやないで。皆々伝えてくれ/\。

と言われました。

おたすけと自由自在

前述の通り、どんなに人をたすけたくても、相手が心を開いてくれなければ「おたすけ」はできません。
まして、人にたすけてもらうことを恥ずかしく思ったり、時には隠しておきたいという人もいるでしょう。
そうした場面であっても、親神様は、その方があなたに悩みを打ち明けてくださるように働くと言われるのです。
だから「案じる事要らん」、それが「神の自由自在」だと言われました。

その方にすれば、「たすけてほしいなんて人には言えなかったけれど、あなたにはなぜか悩みを打ち明けたくなった」という神秘的な体験となって映ることでしょう。
こうした不思議な親神様のお働きを頂き、そこからあなたの「おたすけ」が始まります。
どんなことも親神様の「てびき」であることをお伝えし、「八つのほこり」のお話を取り次ぎ、「かしもの・かりもの」の世界を知っていただく。
そして「おぢば」へお連れするという「おたすけ」の世界が開けてきます。

もしかすれば、今までに「この人は何でも自分に打ち明けてくれるなぁ」という経験があったかもしれません。
それはあなたの努力やお人柄かもしれませんが、実は親神様があなたに「おたすけ」をしてほしいというお働きのたまものかもしれません。
親神様はあなたに期待をしておられるのです。

私の「教理コーナー」は今回で終わります。
Happist読者の皆さんには心からお礼を申し上げます。
タイトルとした「出会い ふれあい たすけあい」の世界を少しでもお伝えできていればうれしく思います。

私たちは、「にをいがけ・おたすけ」を通して、さまざまな身上や事情に苦しむ方と出会います。
行き詰まりを抱えた方の元に足を運び、胸の内を聴かせていただく。
そうしたお互いの心の触れ合いから「おたすけ」が始まるのです。
ところが、そのような人をたすけたいという行動は、実はそのままに自らがたすけられていることを教祖は教えてくださいました。
この気付きこそが、私たちを「陽気ぐらし」の世界へと導くと信じています。

おわり

※『Happist』2014年3月号より再掲載

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