第2回「月日のやしろ」

01. はじめに

私たちの信仰する神様は、天理王命と申し上げます。

この世と人間をお創りくださり、絶え間なくご守護くださっている元の神様・実の神様です。

まさに、すべてを生み育ててくださる親なる神であることから、親神様とお呼びします。

おやさまも、漢字にすると「親様」となるでしょう。

親神様もおやさまも、文字通り「親」なのです。親というのは、子供がいて初めて親となります。親神様、おやさまにとっての子供とは、私たちすべての人間です。

では、親神様とおやさまは、どのような関係なのでしょうか。

02. 月日のやしろ

おやさまは、天保9(1838)年10月26日に「月日のやしろ」に定まられました。

「月日」とは「親神様」のこと。「やしろ」とは、神様が鎮まられる場所を意味します。

おやさまが「月日のやしろ」に定まられたとは、つまり、親神様がおやさまの身の内に入り込まれたということであり、以来おやさまのお心は親神様のお心となられたという意味です。

このことは、お道を信仰する上で最も大切な事柄と言えます。なぜなら、お道の教えは、すべておやさまがお教えくださったものであるからです。

おやさまがお教えくださったのは、ご自身の経験や悟りの話ではないのです。親神様のお心で、親神様の思いをそのままお話しくださったのが、おやさまの教えなのです。

03. おふでさき

『おふでさき』と言われる書物があります。

漢字で書けば「お筆先」。

これは、おやさまが自ら筆を執って書かれたもので、五・七・五・七・七の和歌の形式で書かれています。お歌の数は1,711首。第一号から第十七号に区切られており、その全般を『おふでさき』と称しています。

月日のやしろであるおやさまが書かれたのですから、その内容は親神様の思いがそのままつづられているということです。

この『おふでさき』の中には、おやさまのお立場について次のように記されています。

  いまなるの月日のをもう事なるわ くちわにんけん心月日や  (十二 67)

  しかときけくちハ月日がみなかりて 心ハ月日みなかしている (十二 68)

この『おふでさき』に関する解説は、次の通りです。

「教祖様は人間の姿をしておられるから、普通の人間の口から話されるように思うかもしれないが、教祖様は親神様のやしろであって、教祖様の口を通して語られる事は皆、親神様のお話であり、親神様のお心が教祖様のお心としてお現われになっている事を、仰せになっている。」

(『おふでさき註釈』)

『おふでさき』には、親神様が子供である人間を思う親心いっぱいのお言葉が満ちあふれています。

04. おやさまを信じきる

おやさまは、月日のやしろにお定まりになられてから、世界中の人間を何としてもたすけたいとの親神様のお心のままに、お話や、書き物を通じ、またご自身の行動をもって、この道の教えを示してくださいました。

けれども、当時の人々は、なかなかおやさまの言葉を信じようとしませんでした。信じないどころか、冷たい目を向け、非難をしました。

とかく、人間は自分の目に見えたものは信じやすいですが、見えないものは疑ってかかりがちです。人々には、おやさまのお姿は見えても、なされることの奥にある本心までは容易には理解できなかったのです。

そんな中にあっても、どうでも親神様の思召を理解させたいと、ちょうど母親がむずがる我が子に教え諭すように、丹念に根気よく、相手の成長に合わせながら、繰り返し丁寧に教え導いてくださったのです。その期間は50年に及びます。

どれほどのお心とお手間をかけて導いてくださったかと思うとき、やはりおやさまは本当の母親だと確信できます。

おやさまは私たちの親である、おやさまのお心は親神様のお心である、ということを信じきらなければ、おやさまの教えは何も分かりません。

これは、お道を信仰する上で最も大切なことなのです。

今回のまとめ

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